親衛隊への協力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/11 05:07 UTC 版)
ノイエンガンメ強制収容所は収容過剰の状態にあり、スカンジナビア人収容者用の居住区を確保するために親衛隊は他の国籍の収容者を他の収容所へ移送する必要に迫られていた。親衛隊の収容所長は自前の輸送手段を持ち合わせておらず、新しく到着するスカンジナビア人収容者が「愛護棟」("Schonungsblock")を確保できるように白バスにこの移送を請け負うように要求した。 約2,000名のフランス人、ベルギー人、オランダ人、ロシア人とポーランド人収容者が他の収容所へ移送された。「愛護棟」は労働に適さない、病気がちで寝たきりの収容者用の居住棟であったため、これらの収容者は重症であった。移送中に約50から100名の収容者が、更に多くが到着した新しい収容所の劣悪な環境や前進してくる連合国軍を避けるための新たな移送の中で死亡した。 親衛隊のための収容者の移送のほとんどは3月27日から29日の間にノイエンガンメからハノーファー、ザルツギッターとベルゲン・ベルゼンへ行われた。スウェーデンの中尉オーケ・スヴェンソン(Åke Svenson)は、こう記している。 "我々は、ようやく一般的にドイツ人がどのようにフランス人、ベルギー人、オランダ人、ポーランド人、ロシア人の収容者を扱うかを見ることができた。ほとんどの乗客がバラックから道路までの僅かな距離すら歩くことができなかったので、今回はドイツ人も我々が収容所に入ることを許さざるを得なかった。これらのバラックから生き物の一団が追い出されてきた。それらは既に人間とは呼び難い有り様であった。 親衛隊のための最後の移送は、押し迫った4月13日に実施された所謂著名なフランス人収容者(議員、経済界の大物、等々)約450名の移送で、ドイツ側は彼らがスイスへ再移送されると言っていた。計画によると収容者はフロッセンビュルク強制収容所へ届けられ、そこからスイス赤十字社によりスイス国内へ移送されるということであった。このスイスへの移送の約束は虚偽であり、フロッセンビュルク強制収容所は満杯であった。そこで収容者は「白バス」がデンマーク系ユダヤ人を引き取りに向かっていたテレージエンシュタット(Theresienstadt)へ連れて行かれた。
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