親衛隊の思惑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 22:46 UTC 版)
1934年4月頃から真っ先に突撃隊の粛清を計画していたのが親衛隊(SS)であった。親衛隊はこの時点では突撃隊の下部組織の一つにすぎず、親衛隊全国指導者であるハインリヒ・ヒムラーは、ヘルマン・ゲーリングからようやくゲシュタポ長官代理に任じられて実質的指揮権を譲り受けたばかりであった。ゲシュタポの指揮権をヒムラーが譲り受けたとは言っても、いまだプロイセン州におけるゲーリングの警察権力は巨大であり、親衛隊が更に勢力を拡大させるためには、ゲーリングと密接な関係を保つことは不可欠であった。しかしゲーリングとレームは政敵の関係であったから、そのためにはまず親衛隊がレームの突撃隊から独立することが必要であった。そのためには突撃隊を骨抜きにして弱体化させねばならなかった。親衛隊の中でも最初に突撃隊幹部の粛清を立案したのは、親衛隊諜報部(SD)部長ラインハルト・ハイドリヒであった。しかしこれを実行に移せば突撃隊と親衛隊に深い溝ができるうえ、またヒムラーにとってレームは長い間世話になり、尊敬の対象としてきた人物でもあり、ヒムラーはこの計画には簡単には首を縦には振らなかった。ハイドリヒは時間をかけてヒムラーを説得し、ついにヒムラーも突撃隊幹部の粛清を決断した。ヒムラーも一度決断した後は粛清にためらったり、手心を加えることはなかった。粛清対象者のリスト作成の実質的責任者は計画者であるハイドリヒであった。ハイドリヒはこれを機に突撃隊に限らず反ナチ分子をまとめて粛清しようと企み、突撃隊以外の名前も次々とリストに加えていった。
※この「親衛隊の思惑」の解説は、「長いナイフの夜」の解説の一部です。
「親衛隊の思惑」を含む「長いナイフの夜」の記事については、「長いナイフの夜」の概要を参照ください。
- 親衛隊の思惑のページへのリンク