親衛隊による介入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/11 16:54 UTC 版)
「マダガスカル計画」の記事における「親衛隊による介入」の解説
ドイツ占領地域からユダヤ人の排除を指揮監督するため、1939年にゲーリングによってユダヤ人移住中央本部の本部長に任じられた国家保安本部長官のラインハルト・ハイドリヒは、マダガスカル計画が動き始めたことを知るや、リッベントロップにこの計画は親衛隊の管轄であると熱心に主張した。。こうして親衛隊国家保安本部でユダヤ人の追放政策を担当していたアドルフ・アイヒマンも計画に参加するようになった。8月15日、アイヒマンはReichssicherheitshauptamt: Madagaskar Projekt(国家保安本部: マダガスカル計画)と名付けられた草案を公開した。この草案では、1年に100万人のユダヤ人を再定住させそれを4年以上続けることが要求された。同時にヨーロッパ中にいかなるユダヤ人も抑留しておくという考えは捨て去られ、親衛隊が計画の全面的なコントロールにあたるとされた。例えばドイツ以外の国はドイツがマダガスカルにおいて、ユダヤ人住民の「自治権」を与えるものとの見方を望んでいたが、アイヒマンは島の統治のために創設される全てのユダヤ人団体をSSの管理監督下に置くことを草案ではっきりと述べていた。
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