規定問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 08:30 UTC 版)
1972年当時、フィギュアスケートはコンパルソリー(規定)とフリーしかなく、カレンは規定を不得意としていた。オーストリアのベアトリクス・シューバは規定を得意としており、札幌オリンピックでベアトリクスは規定で1位、フリーで7位となったが金メダルを獲得する。カレンとジャネット・リンはともにフリーで2位と1位であったが規定で出遅れたことが響き、総合でカレンは銀メダル、ジャネットは銅メダルに終わった。このことがきっかけとなり、「フィギュアはスポーツか芸術か」との論争が巻き起こり、翌73年シーズン、規定の比重を下げることを目的として規定とフリーの間にショートプログラムを導入するに至った。
※この「規定問題」の解説は、「カレン・マグヌセン」の解説の一部です。
「規定問題」を含む「カレン・マグヌセン」の記事については、「カレン・マグヌセン」の概要を参照ください。
規定問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/14 01:51 UTC 版)
「ベアトリクス・シューバ」の記事における「規定問題」の解説
1972年当時、フィギュアスケートのシングル競技はコンパルソリーフィギュア(規定)とフリースケーティング(フリー)しかなく、ベアトリクスは規定を得意としていた。1972年の札幌オリンピックで、ベアトリクスは規定で1位、フリーで7位となったが金メダルを獲得する。カナダのカレン・マグヌセンとアメリカのジャネット・リンはともにフリーで2位と1位であったが得点比重の大きかった規定で出遅れたことが響き、総合でカレンは銀メダル、ジャネットは銅メダルに終わった。 このことがきっかけとなり翌1973年シーズン、規定の比重を下げることを目的として規定とフリーの間にショートプログラムを導入するに至った。のちに規定は1991年シーズンをもって男女シングルから完全に廃止された。
※この「規定問題」の解説は、「ベアトリクス・シューバ」の解説の一部です。
「規定問題」を含む「ベアトリクス・シューバ」の記事については、「ベアトリクス・シューバ」の概要を参照ください。
- 規定問題のページへのリンク