西近江路とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 建物・施設 > 路線 > 道路 > 街道 > 西近江路の意味・解説 

西近江路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/13 14:18 UTC 版)

西近江路(にしおうみじ)は、近江国(滋賀県)から越前国へ通じる街道で、古代・中世の北陸道。北国街道、北国海道、北国脇往還、北国往還、北国脇道とも。1887年明治20年)に西近江路として県道となりこの名称が定着した。古より都と北陸を結ぶ道として人の往来が多いだけでなく、壬申の乱藤原仲麻呂の乱、治承・寿永の乱(源平合戦)、織田信長の朝倉攻め(一乗谷城の戦い金ヶ崎の戦い小谷城の戦い)などでは大軍が移動している。また、平安時代遣渤海使もこの道を通るなど、交流の道でもあった。

経路

  • (古代)

小関越え → 穴多(太)駅(大津市穴太) → 和邇駅(大津市和邇中浜) → 三尾駅(高島市安曇川町三尾) → 鞆結駅(高島市マキノ町小荒路・海津・浦・石庭) → 愛発関敦賀市疋田か) →

  • (近世)

大津宿・札の辻(大津市札の辻) → 衣川宿(大津市衣川) → 和邇宿(大津市和邇中) → 木戸宿(大津市木戸) → 北小松宿(大津市北小松) → 河原市宿(高島市新旭町安井川) → 今津宿(高島市今津町今津) → 海津宿(高島市マキノ町海津) → 敦賀宿(敦賀市元町)

海津から敦賀までの区間は七里半越(七里半街道)と呼ばれ[1][2]、この区間を指して西近江路と呼ぶ場合もある[3][4]

周辺の文化財

出典

参考資料

現在のルート





固有名詞の分類

このページでは「ウィキペディア」から西近江路を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から西近江路を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から西近江路 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「西近江路」の関連用語

西近江路のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



西近江路のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの西近江路 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS