西湖モデル説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 04:35 UTC 版)
現在、大濠公園は中国浙江省の杭州市にある名所の西湖を模して整備されたという説が広く流布し、観光ガイドブックや郷土史解説書にも広く紹介されているだけでなく、大濠公園管理事務所さえもパンフレットで同様の紹介をしている。しかし、本多・永見が提出した「福岡県経営東公園西公園大堀公園改良計画」には、「海外幾千の公園の実況を参考とし」としか書かれておらず、西湖だけをモデルにしたという記述は一切無い。また、第二次世界大戦前に刊行されたガイドブックや観光案内にも記述は無い。 この「西湖をモデルとした」という説が発生するきっかけになったのは、1949年(昭和24年)の昭和天皇行幸に伴い、戦前東公園にあった動物園のアシカ池に設置されていた中国風の東屋を浮見堂として移設したためだとされている。その後、1968年(昭和43年)初版の市の観光ガイドブックに、「西湖を小さくしたのがこの大濠公園といったらどうであろうか」という記述が見られ、1978年(昭和53年)に発行された歴史ガイドに初めて西湖をモデルとしたという記述が現れる(なお、改訂版に記述は踏まえられたが、新版にこの記述は無い)。以降、この記述が官民問わず他のガイドブックにも転載され、拡散していったと考えられている。
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