西宮第二球場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 07:58 UTC 版)
現在の山手幹線道路の南側に設置された。主として阪急→オリックスの二軍(ウエスタン・リーグ)の公式戦、あるいは一・二軍とも事前の練習などに使われた。観客席はなし。 1951年に毎日オリオンズがこの第二球場でキャンプを行い、隣接した本球場では阪急が練習を行った。 名神高速道路開通後はその東側に存在した。球場としての外観が整えられたのは1970年代に芝生が植えられてからである。工事時の取り扱いは不明。1966年撮影の空中写真では、休止中の西宮球技場の芝生を内野のようにはがしていたことが確認できる。 特に二軍の試合は、競輪が本球場で行われた場合に公式戦を開催したことが多かった。 第二球場南側にブレーブスの合宿所「集勇館」も併設されていた。 オリックス・ブレーブスがブルーウェーブへと球団名を変更しフランチャイズ球場を移転した1991年4月をもって機能終了し、球場・合宿所ともに閉鎖された。二軍の練習場と合宿所はグリーンスタジアム神戸サブ球場とその近接地に移転した。 その後、球場・合宿所は解体され、跡地は兵庫県・西宮市・住宅・都市整備公団などに相次いで売却される。現在はそれらの公営住宅が建ち並んでおり、特に阪神・淡路大震災で自宅を失った世帯に対する震災復興住宅として、その役割を果たした。
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