裁判~晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 04:52 UTC 版)
暴走事件による実際の死者は7人だが、起訴状には6人が死者として扱われた。フォードの弁護士は彼女が統合失調症により責任能力がないため死刑にすべきではなく、精神医療施設にて余生を送るべきだと主張した。 これに対し地区検事長はフォードを邪悪な人物と非難し、責任能力の所在を追及する構えを見せた。 証言台にてフォードは自分はイエス・キリストの生まれ変わりであると信じており、罪を犯すことが出来ないと発言した。 1981年1月29日にフォードは責任能力に欠けるという判断がくだされたが、同年8月4日、責任能力ありと判断された。裁判は約5ヶ月にわたった 。 1982年3月19日、13時間にわたる審議の末、女性7人、男性5人で構成される陪審員団は、フォードが6人を殺し、23人を殺そうとした罪で死刑にすべきという評価を下した。彼女は死刑判決に対して不服を申し立ててきたが、いずれも却下されている。 ヘビースモーカーだった彼女は、肺気腫で苦しんだ末、2005年1月29日にノースラスベガスにある南ネヴァダ州女性矯正施設(Southern Nevada Women's Correctional Center) にて75歳で亡くなった。
※この「裁判~晩年」の解説は、「プリシラ・フォード」の解説の一部です。
「裁判~晩年」を含む「プリシラ・フォード」の記事については、「プリシラ・フォード」の概要を参照ください。
- 裁判~晩年のページへのリンク