藤村正員の流れとは? わかりやすく解説

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藤村正員の流れ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:02 UTC 版)

庸軒流」の記事における「藤村正員の流れ」の解説

藤村正員は庸軒の次男で、大阪関東屋の養子となった正員一生のあいだ病身であったため、茶道のみを楽しみに暮らしていたとされる関東屋は庸軒の叔父藤村紹和を元祖とする縁戚であり、養子による継承重ねて正斎のあと一時断絶したがのちに再興した藤村正斎のあと茶道明福寺住職観山によって盛り立てられ中興称されている。この系譜藤村正員派と呼ばれており、現在は京都伝承されている。 藤村正員門人斎藤道節(1684年1766年)という人があり、元は大阪の人だがのちに江戸で庸軒流広めた。この系譜庸軒流華道とともに東京伝わっていたが、茶道については昭和初期絶えた藤村正員派代名生没年月日備考藤村正員 1650年-1733年7月28日 庸軒の2男 藤村芳隆 1672年-1736年5月11日 養子で恕堅の2男 三 藤村正1684年-1755年2月7日 泉州久尾角野家からの養子観山 1716年-1785年12月25日 明福寺住職白井温古斎 不詳 六 白井観徳斎 不詳-1870年9月4日白井観夢斎 不詳不詳 八 嘉晶 不詳不詳風月庵照快 1837年-1917年9月3日 冷泉為理の娘 十 島村素元 1871年-1963年5月4日 十一 教誉祐宏 1926年-

※この「藤村正員の流れ」の解説は、「庸軒流」の解説の一部です。
「藤村正員の流れ」を含む「庸軒流」の記事については、「庸軒流」の概要を参照ください。

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