藤村正員の流れ
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藤村正員は庸軒の次男で、大阪の関東屋の養子となった。正員は一生のあいだ病身であったため、茶道のみを楽しみに暮らしていたとされる。関東屋は庸軒の叔父の藤村紹和を元祖とする縁戚であり、養子による継承を重ねて正斎のあと一時断絶したがのちに再興した。藤村正斎のあと茶道は明福寺住職の観山によって盛り立てられ、中興と称されている。この系譜は藤村正員派と呼ばれており、現在は京都で伝承されている。 藤村正員の門人に斎藤道節(1684年~1766年)という人があり、元は大阪の人だがのちに江戸で庸軒流を広めた。この系譜が庸軒流華道とともに東京で伝わっていたが、茶道については昭和初期に絶えた。 藤村正員派代名生没年月日備考二 藤村正員 1650年-1733年7月28日 庸軒の2男 藤村芳隆 1672年-1736年5月11日 養子で恕堅の2男 三 藤村正斎 1684年-1755年2月7日 泉州津久尾の角野家からの養子 四 観山 1716年-1785年12月25日 明福寺住職 五 白井温古斎 不詳 六 白井観徳斎 不詳-1870年9月4日 七 白井観夢斎 不詳 伝不詳 八 嘉晶 不詳 伝不詳 九 風月庵照快 1837年-1917年9月3日 冷泉為理の娘 十 島村素元 1871年-1963年5月4日 十一 教誉祐宏 1926年-
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