源懿子 (後白河天皇妃)とは? わかりやすく解説

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源懿子 (後白河天皇妃)

(藤原懿子 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/19 06:37 UTC 版)

源 懿子
第78代天皇母
皇太后 (追贈)保元3年12月29日1159年1月20日

誕生 永久4年(1116年
死去 康治2年6月24日1143年8月6日
懿子
氏族 藤原氏北家御堂流大炊御門家
養:後三条源氏
父親 藤原経実
養父:源有仁
母親 藤原公子(藤原公実の娘)
配偶者 雅仁親王(後の後白河天皇
結婚 保延5年(1139年)頃
子女 二条天皇
立后前位階従二位
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源 懿子(みなもと の いし/よしこ、永久4年(1116年) - 康治2年6月24日1143年8月6日))は、後白河天皇親王時の妃、二条天皇生母。贈皇太后。父は藤原経実、母は藤原公子(藤原公実の娘)。源有仁の養女。

生涯

母の妹が源有仁の室であった関係で、源有仁の養女として育てられた。保延5年(1139年)の雅仁親王(のちの後白河天皇)の元服の頃、妃となったとみられる。当時、雅仁親王は13歳、懿子は24歳で、懿子の方が11歳年長であった。康治2年(1143年)6月17日、三条高倉第において守仁親王(のちの二条天皇)を産むが、疱瘡を患い、同月24日に28歳で薨去。雅仁親王久寿2年(1155年)、守仁親王即位までの中継ぎとして即位したが、保元3年(1158年)、守仁親王に譲位。懿子は二条天皇の即位に伴い、皇太后を追贈された。

参考文献

  • 角田文衛『待賢門院璋子の生涯』、朝日選書、1985年



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