藍蘋=江青との『確執』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/09/22 17:58 UTC 版)
1935年に映画「自由神」で主演となると共に同タイトルの主題歌も担当するが、この時は端役として「娜拉(人形の家)」ノラ役で舞台デビューしたばかりの藍蘋と共演することとなり、後々までに及ぶ藍蘋=江青との因縁が出来る。 二人が真正面から衝突するのは、翌1936年の舞台「賽金花」(注:実在人物伝)での主役・賽金花を巡ってのことになる。いつも同じ話劇や映画で端役や脇役に回され『ライバル』王瑩を目の敵にしている藍蘋に対し、キャリアのないまま突然ちやほやされてるだけの藍蘋に対し子役時代からの芸歴の長いベテランとしての自負がある王瑩が一歩も引かず、止む無く原作者は両者を主役として二組公演を提案した。 だが、この提案に対し金山や王瑩が所属劇団の上海業余劇人協会を集団脱退、新たに40年代劇社を結成して独自に舞台「賽金花」の公演に踏み切る。「賽金花」は中国各地で3万人超の観客が集まり、国内約20ヶ所の舞台も各地で大ヒット・好評を博した。一方王瑩らが脱退した業余劇人協会は舞台「大雷雨」で対抗し藍蘋はその女主人公・カトリーナを演じるが、評判は芳しくなかったばかりか、その作品の演出家とのスキャンダルが噴出。藍蘋の内縁の夫・唐納の自殺未遂もあって、この件を機に藍蘋は映画会社から解雇され流浪を余儀なくされる。結果として「賽金花」での騒動は江青(=藍蘋)の毛沢東との出会い・結婚のきっかけとなったのだが、その一方で王瑩に対する文化大革命での迫害につながった。
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