藍衣社のテロ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 14:15 UTC 版)
「梅津・何応欽協定」の記事における「藍衣社のテロ事件」の解説
1935年5月2日夜、天津の日本租界において反蔣介石・親日・親満州国の新聞社社長2名が暗殺された。午後11時頃、北洋飯店に宿泊していた胡恩溥は拳銃による4発の銃撃を受け間もなく病院で死亡し、同夜午前4時頃租界内の自宅において白逾桓は拳銃による3発の銃撃を受け即死、犯人はいずれも逃走し手がかりは残さなかった。この事件が起きるまでは藍衣社による反国民党的高級軍人に対するテロ事件が頻発していたが、それが親日の新聞社長2人に及んだものである。 この暗殺事件について日本軍当局は、両名が日本軍の使用人であることを指摘し、この事件が1902年7月12日の「天津還附に関する日清交換公文」中に決められた「…天津都統衙門及外国軍隊に使用せられたる清国人は、その使用せられたることに関連し何等の累を受くることなかるべく、勿論貴王殿下の御承認あるべき儀と存じ候」という条文並びに「各国軍隊司令官の有する軍事裁判権」に抵触するものとした。
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