薩摩大久保氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 10:12 UTC 版)
薩摩国出身の大久保利通の一族がいる。薩摩藩士の大久保家は藤原姓とされるが定かではない。『甲東逸話』では一説、源姓畠山氏の一族で戦国時代に京都から薩摩に移るという。また、寛文年間の『諸家大概』にその系図を偽者扱いされている大窪源太左衛門という人物が源姓畠山氏を称しているが、この人物と当大久保家との関係は不明。貞享年間に市来郷川上に下り、後年に鹿児島城下に戻るという。彼の一族については大久保利通を参照。 大久保利通は1884年(明治17年)の華族令施行前に暗殺されたが、その長男大久保利和は木戸正二郎(木戸孝允の養子)と並んで華族令施行とともに直ちに侯爵に叙される勲功華族として最上級の待遇を受けた(ほかの維新三傑の一人西郷隆盛の家は西南戦争により当初叙爵がなかったが、西郷赦免後の1902年にその息子の西郷寅太郎は直ちに侯爵位を受けるという大久保家・木戸家と同等の扱いを受けた)。利和が隠居すると弟の大久保利武が爵位を継承した。利武は内務官僚として大阪府知事などを歴任した。利武の死後はその息子大久保利謙が爵位を継承した。利謙は歴史学者として著名である。大久保侯爵家の邸宅は東京市芝区二本榎西町にあった。
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