蒲池久憲と大友氏幕下とは? わかりやすく解説

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蒲池久憲と大友氏幕下

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 09:56 UTC 版)

蒲池氏」の記事における「蒲池久憲と大友氏幕下」の解説

久憲は、筑後守護の大友氏傘下入り1373年10月大友親世菊池武朝肥後国激突した時、田尻安ら筑後諸将と共に大友軍に属し竹井に陣を構えたが、戦い菊池氏勝利となった戦いとは別に久憲は、嫡子蒲池義久豊前宇都宮氏嗣子となる城井則房大木氏の祖となる大木資貞を生み、一族門脈筑後広め蒲池氏筑後大きな勢力築いた。また蒲池久憲応永年間城郭拡張して城下町築いた(『三潴郡誌』)とされることから、久憲がのちの蒲池氏発展基礎築いたといえる蒲池義久嫡子は繁久だが、次男大隈今村氏今村大隅の子孫は現在も広安館跡江崎家内田家として子孫現存している)を、三男家久(鎮貞)は犬塚氏を、四男の泰秀(久種)は酒見氏を、五男の親房は城島氏を名のりそれぞれの在地豪族名跡継ぎ蒲池氏勢力拡大させた。 蒲池繁久は、筑後黒木氏や三池氏、肥後国小代氏連合して大友氏反旗を翻した時、五条氏、星野氏草野氏、問註所氏と共に大友氏側として出陣し、久憲以来勲功大友氏評価するようになり、繁久は豊後筑後守護大友親繁から「繁」の字を、その嫡男蒲池親久は、親繁の子大友政親から「親」の字をそれぞれ下賜された。これ以降大友氏歴代当主蒲池氏当主に対して名前の一字与えることを通例とするようになり、蒲池氏大友氏幕下筑後国領主として存続することになった

※この「蒲池久憲と大友氏幕下」の解説は、「蒲池氏」の解説の一部です。
「蒲池久憲と大友氏幕下」を含む「蒲池氏」の記事については、「蒲池氏」の概要を参照ください。

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