蒋家と政治
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1985年8月16日、蒋経国が米国の雑誌「タイム」香港支局のインタビューを受け、一族に総統職を継がせるかについて問われると「考慮していない」と回答。 1985年12月25日、経国は国民大会での声明でも選挙で一族から後継総統が選出されることについて「ありえないし、不可能」と表明している :417-418。 しかし一部の人々はこれを「蒋一族に政治をやらせてはならない」と解釈し、祖父の話を聞き入れないのかと万安を批判する。 こういった批判に対し、万安は立法委員立候補時に「一族だからと言って彼(経国)と同じ職業に就けないというのは、(一族が)政治に携われないということではない。祖父は世襲を好まなかったというが、それは独裁時代の話であって、今台湾は民主化されている。自分は祖父経国の執政を学ぶ必要がある。祖父は国民を愛し、人々の幸福を第一に考えて執政していた。自分にとって蒋一族というのは血縁関係というよりほかはない。」と反論した。 また、万安は10歳時に自分が蒋一族であることを教師に知らされ、他の4世代目の一族との交流は極めて少ないとも述べている。祖父経国のことに言及する際、万安は「爺爺(お祖父さん)」ではなく「経国先生(経国さん)」と呼んでいる。
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