荷主・トラック業者の国鉄離れと貨物局の強気
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:26 UTC 版)
「スト権スト」の記事における「荷主・トラック業者の国鉄離れと貨物局の強気」の解説
上述のような背景があったことに加え、サービス内容自体に起因する問題も加わり、国鉄貨物輸送への不満はスト前(正確には「スト権奪還スト」として小規模なストが多発していた時期に)業界誌では既に何度も取り上げられていた。例えば『流通設計』が1975年(昭和50年)2・3月号で国鉄貨物を特集した際にも、社名を公にする形で記名アンケートの回答に多くの荷主、トラック業者がストによる遅れを挙げて批判していた。これを取り上げた記者座談会でも「ストと言う最大の事故対策がゼロの状態ではね。そりゃ撤退しない方がおかしい(笑)」と冷笑されている。 また、当時から遅延が発生すれば運輸業者がペナルティを荷主に払わなければならない契約が多かったが、上記のアンケートによればそのペナルティはトラック路線業者が支払っており、業者から委託された国鉄は遅延の原因を作った場合にも、何も払っていないケースが回答された。このような路線トラック業者の国鉄貨物利用からの撤退の流れに対し、国鉄貨物局は建前としては「撤退論で脅かして、インセンティブ(利用割引制)など利用メリットを拡大させようとする牽制策だ」と、スト権スト前は強気に出ていた。しかし、1975年(昭和50年)春に全日本トラック協会フレートライナー利用委員会が出した結論でも600 km以下はライナー利用のメリット無しと結論しており、従来フレートライナーを積極的に宣伝してきた『流通設計』自体もこの結論や品目による割引制すら設定されていない硬直した国鉄の運賃体系を根拠に、批判や忠告を「狼少年」扱いする貨物局とは距離を置きつつあった。
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