英雄論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 07:41 UTC 版)
「アンドレス・ボニファシオ」の記事における「英雄論争」の解説
20世紀初頭からアメリカ人研究者によって、フィリピン革命の主要な担い手は富裕なエリート知識階級であるとされてきたが、フィリピンでは、1956年のテオドロ・アゴンシリョ著『大衆の蜂起――ボニファシオとカティプーナンの物語』の出版以来、ボニファシオがフィリピン革命を担った民衆の指導者として国民の英雄と見なされるようになった。フィリピン革命の解釈を巡ってアメリカ人とフィリピン人の歴史学者たちの間にこうした齟齬がある中、フィリピン革命百周年を目前にした1997年に、オレゴン州立大学教授のグレン・メイが『英雄の捏造――没後創られたアンドレス・ボニファシオ像』を著し、ボニファシオに対する評価は学問的な史料考証にもとづいたものではなく、不確かな史料やインタビュー記録によるものにすぎないとして、フィリピン革命は「地方権力者層の指導力の下で民衆を率いた独立革命であり、民衆が独自の革命思想のもとで戦ったわけではない」と主張した。これに対し、フィリピン人研究者のレイナルド・イレートは、1998年の『フィリピン人と革命』でメイの言説に反論し、アメリカはフィリピンの植民地支配正当化のために、フィリピン革命を大衆蜂起でなくエリート層の蜂起にする必要があり、大衆層であるポニファシオが革命の英雄であっては都合が悪いのだと批判した。
※この「英雄論争」の解説は、「アンドレス・ボニファシオ」の解説の一部です。
「英雄論争」を含む「アンドレス・ボニファシオ」の記事については、「アンドレス・ボニファシオ」の概要を参照ください。
- 英雄論争のページへのリンク