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若林義孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/27 13:44 UTC 版)

若林義孝
わかばやし よしたか
生年月日 1900年5月30日
出生地 三重県上野市(現三重県伊賀市)
没年月日 (1981-05-17) 1981年5月17日(80歳没)
出身校 京都帝国大学法学部(現京都大学法学部)
前職 学士会倶楽部大阪支部書記長
所属政党 (無所属→)
(自由党→)
(民自党→)
選挙区 (岡山全県区→)
岡山1区
当選回数 2回
在任期間 1946年4月10日 - 1947年3月31日
1949年1月23日 - 1952年8月28日
当選回数 3回
在任期間 1956年4月29日 - 1965年7月31日
官選敦賀市長
在任期間 1937年4月 - 1938年11月
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若林 義孝(わかばやし よしたか、1900年明治33年)5月30日[1] - 1981年昭和56年)5月17日[2])は、昭和時代の政治家衆議院議員(2期)。福井県敦賀市長、大阪府箕面市長。

経歴・人物

三重県上野市にて生まれる[2]1927年(昭和2年)京都帝国大学法学部を卒業し、同大学生監事務嘱託を経て、国民同志会に入る[3]。同会では理事に進み、長らく国民の政治教育に傾倒した[3]。のち、学士会倶楽部大阪支部書記長を経て、1938年(昭和13年)12月12日に前福井県敦賀市長の森本一雄が逝去すると、同職の後任となった[3]

ついで、日本人造皮革工業連合会長、黒住教顧問などを歴任[2]1946年(昭和21年)第22回衆議院議員総選挙岡山全県区に自由党から出馬して当選し、第24回総選挙でも当選して計2期在任した[2]。さらに、1956年(昭和31年)から1965年(昭和40年)まで大阪府箕面市長を務めた[2]

脚注

  1. ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、25頁。
  2. ^ a b c d e 新訂 政治家人名事典 明治~昭和(日外アソシエーツ)『若林 義孝』 - コトバンク
  3. ^ a b c 帝国自治協会 1938, 99頁.

参考文献

公職
先代
新設
大阪府箕面市長
1956年 - 1965年
次代
黒山宣雄
議会
先代
中山マサ
衆議院海外同胞引揚に関する特別委員長 次代
廃止
官職
先代
森本一雄
福井県敦賀市長
1938年 - 1940年
次代
末原貫一郎


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