若いころの仲間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 10:07 UTC 版)
杉山鹿之助 / 杉山忠兵衛 杉山家1000石の嫡男。隼太とはほぼ同時期に片貝道場に入門し、身分差のある隼太たち4人とも気さくに付き合った。失脚して藩政から身を引かざるを得なくなった父忠兵衛(先代)の跡を継ぐと、37歳にして筆頭家老の地位に上がる。 家督を継いだ後も、隼太の剣の腕を頼みとしてたびたび護衛役を依頼していたが、やがて又左衛門(隼太)が権力の中枢に迫ってくると、対立するようになっていった。そして、又左衛門との政争に敗れ失脚し、家禄200石を削られる。 野瀬市之丞 野瀬家160石の冷や飯食いで、婿にも行かずに厄介叔父になった。隼太とはほぼ同時期に片貝道場に入門した。癖のある下段の剣を遣う。鹿之助を中心とした5人仲間のひとり。皮肉屋だが、酔うと面倒見がよくなる。 剣の腕が優れていることから、刃傷沙汰を起こして脱藩した一蔵に対する討手の1人に選ばれ、一蔵を斬ってからますます変人ぶりに磨きがかかった。 そして、忠兵衛が又左衛門との政争に敗れた後、市之丞は又左衛門に果たし状を送りつけてきた。 当初、又左衛門は、市之丞が藩主から陰扶持をもらって、要人の陰警護や暗殺など裏の仕事を請け負っているのではないかと考えていた。しかし、果たし状が届いてから、陰扶持を出していたのは忠兵衛(鹿之助)だったのではないかと疑い始める。 三矢庄六 / 藤井庄六 35石で山役人を務める三矢家の冷や飯食い。隼太とはほぼ同時期に片貝道場に入門した。鹿之助を中心とした5人仲間の1人。 隼太と太蔵が原の開墾工事にも参加している。 20石の普請方である藤井家に婿養子に入った。又左衛門(隼太)が家老になったころには、新吾という息子がいて、藩校では秀才のひとりに数え上げられている。 寺田一蔵 / 宮坂一蔵 82石の寺田家の冷や飯食い。隼太とはほぼ同時期に片貝道場に入門した。鹿之助を中心とした5人仲間の1人。 5人の中では最も早く縁談がまとまり、50石で勘定方の宮坂家の娘、類の元に婿入りした。しかし、類の身持ちの悪さが原因と思われる刃傷沙汰を起こして脱藩、討手の市之丞に斬られた。その死に様は悲惨を極め、市之丞の心に深い傷を残すことになる。
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