花満つを暗(くらがり)と呼ぶ峠かな
作 者 |
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季 語 |
花 |
季 節 |
春 |
出 典 |
蘡 |
前 書 |
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評 言 |
フイルターで漉したいような空気のなか、天候や時刻で微妙に彩や雰囲気のかわる花の妖しさに、一刷毛の翳りを感受する。この上質の色彩感覚にささえられた独自のやわらかな一句の立ち姿にしばし酔ってしまった。 それと、たまたま訪れた暗峠に咲きほこる花をあしらう、ただそれだけではあるまい。作者はつねに、詞を見出すために、思いを怺え、溜めるだけため、細心をきわめたことばえらびの末に書きおろしていく、という質の表現法である。 日本人の感性にすばやく訴えるのは、古代より桜、紅葉といわれる。ここでは桜のもつ濃密なひかりと辺りを覆う空気に心中のもつれは次第に解きほぐされて、空間とか陰陽もふくめた峠そのもののもつ「越えれば新しい領(村)へ、世界へ」という本来の存在、目的をしらずしらずに読み手に植えつけてゆく。 不穏な気配をふくんだ「暗」の表記から、一字のもつ属性を濃くにじませつつ、自然や生きてあるすべてを象徴的にとらえる天性の美意識。それがまた、俗から雅へと導くたいせつな要因でもあろう。詩情をうながす巧みな操作、効果のまぶしさに作者の本領がいかんなく発揮されている。 大阪府と奈良県の境に位置して、多くの人がその名に親しんできた「くらがり峠」――元禄年間には<菊の香にくらがり登る節句哉>と芭蕉も詠んだ峠が、澁谷道作品によってみごとに現代に活きてある。 |
評 者 |
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備 考 |
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