芝居に対する考え方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:27 UTC 版)
大部屋俳優として17年間もの長い下積みを経験し、どんなに小さな役や汚れ役でも引き受けた。川谷はとある自著で「実家は貧乏だったけど、おふくろは雑草のように逞しかった。ガキの頃からそういうおふくろの姿を見ていたから、斬られてドブ川に叩き込まれる役でも積極的に演じることができたんだと思う」と記している。 セリフのあるヤクザの役をもらった当初、ヤクザの具体的な振る舞いがイメージできなかった。ヤクザの所作を学ぶため、川谷は酒を飲んでわざと本物のヤクザ相手にケンカを吹っ掛けた。その時の相手の口調や殴り方、殴られ方を覚えて、その後のヤクザ役の芝居に役立てた。 初主演映画「河内のオッサンの唄」はヒットしたが、本人は「良い結果が来れば必ずその後反動が来る」との思いからあまり喜ばなかった。 自分の内面を語ることは少なかったが、撮影現場ではいい作品にするため積極的に意見を口にした。とある自著で川谷は、「原作者や脚本家の先生の意見と俺の意見を戦わせることで、いい作品が仕上がっていくと思っている」と記している。 長男・仁科貴によると、「自宅には当時父の勉強部屋があり、様々な映画のビデオを見て演技を勉強していました。でも父は自分が努力したり演技に苦しんだりする姿を誰にも見せませんでした。世間ではよく『川谷拓三は笑顔が印象的』と言われますが、もしかすると父は努力や苦悩を悟られないため、できるだけ笑顔でいたのかもしれません」と語っている。
※この「芝居に対する考え方」の解説は、「川谷拓三」の解説の一部です。
「芝居に対する考え方」を含む「川谷拓三」の記事については、「川谷拓三」の概要を参照ください。
- 芝居に対する考え方のページへのリンク