芝居についての評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 11:22 UTC 版)
宝塚歌劇では喜劇的な役どころが多く、「二枚目半として宝塚随一」、「三枚目の大御所」といった評があった。しかし『歌劇』編集長の丸尾長顕によれば、当時のタカラジェンヌは三枚目といわれることを嫌がり、園井も「自分の三枚目は二枚目に近いと言われる」と言っては得意がり、自分を慰めているふしがあったという。 演出家の久松一聲はその演技を評し、「宝塚の舞台に粉黛を装う若人幾百、芸達者、なんでも来いは数あるが、滋味で目立たぬほどの演出の中に、底力のこもった、しかし品位を失わぬ演技は、はなはだ少ない。その少ない中の一人に数えられるのが園井恵子である」と評した。また菊田一夫は『文芸朝日』の宝塚50周年特集において、園井以後その演技力を凌ぐ者はひとりも出ていないとした。当時から「宝塚的」な芝居ではなかったとされ、鈴木彦次郎は後に新劇への転向を伝え聞いて「芸風からいって、私はそれが当然だと思ったし、その道へ進んでこそ、彼女の天分がフルに開花すると期待していた」と述べている。 稽古熱心で知られ、宝塚時代に『ライラック・タイム』に出演の際、宿舎裏で夜ごとの自主稽古に熱中するあまり川に落ち、大声で助けを呼んだが、稽古の声と勘違いされて誰も助けにこなかったという逸話がある。苦楽座においても「新劇のリアルな基礎的訓練を欠いて」いることを自覚し、昼夜を分かたずひとり稽古に励んでいたという。稲垣浩も園井を「芸熱心」と評したことは上で述べた。また、中井夫妻への手紙の中では「あの人は自分の欠点を自分でよく知っていました。そして、映画ではその欠点が現れるものだ、ということもよく知っていました。あの人ほど自分の芸に大きな自信を持ちながら、自分の芸に臆病な人はいない、と思いました」と綴っている。
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