船の喪失と艦隊の役割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/24 23:27 UTC 版)
「インディアス艦隊」の記事における「船の喪失と艦隊の役割」の解説
スペインのガレオン船がイギリスやオランダの海賊に乗っ取られるという一般的なイメージとは異なり、長年のインディアス艦隊の歴史の過程において、実際に敵に拿捕された艦隊はわずかである。1628年にオランダのピート・ヘイン(Piet Pieterszoon Hein)提督がスペインのガレオン船を乗っ取り、すべての積荷を母国オランダに持ち帰った。1702年、ビーゴ湾の海戦でインディアス艦隊が急襲されて破壊されたが、スペイン人船員たちが積荷のほとんどを既に降ろした後であった。これらの艦隊を狙った攻撃は、公海上で行われたわけではない。マニラ・ガレオン船の場合、イギリス戦艦に拿捕されたのは4回だけである。1589年のトマス・キャヴェンディッシュ(英語版)によって拿捕されたサンタ・アンナ(Santa Anna)、1710年のエンカルナシオン(Encarnación)、1743年のジョージ・アンソン提督によるコバドンガ(Covadonga)、1762年のサンティシマ・トリニダード(Santísima Trinidad)である。1704年にロサリオ(Rosario)、1710年にベゴニア(Begonia)の拿捕に失敗している。拿捕やハリケーンによる艦隊の喪失は、巨額の経済的損失であった。 しかし歴史上、インディアス艦隊は最も成功した海軍作戦として見なされる。さらに商業的な観点で、現在の世界経済システムのいくつかの重要な要素は、スペインインディアス艦隊の成功によって可能になった(世界の一体化も参照)。 海戦または嵐によって沈んだインディアス艦隊の難破沈没船は、海洋トレジャーハンターの主要ターゲットである。ヌエストラ・セニョーラ・デ・アトーチャなどのように、多くが引き上げられている。
※この「船の喪失と艦隊の役割」の解説は、「インディアス艦隊」の解説の一部です。
「船の喪失と艦隊の役割」を含む「インディアス艦隊」の記事については、「インディアス艦隊」の概要を参照ください。
- 船の喪失と艦隊の役割のページへのリンク