興銀グループにて
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一橋大では宮川公男ゼミに所属し計量経済学を学び、興銀入行後は、経済学の勉強を続けるために調査部配属を希望し、4年間マクロ経済分析を担当した。1974年からタフツ大学のフレッチャー法律外交大学院に留学。1976年に修了し国際関係論修士の学位を取得。 興銀では、資源開発のプロジェクト・ファイナンスを担当したのち渡米。1979年からヒューストン駐在員事務所在勤、1987年からニューヨーク・A.G.ランストン証券に出向し、上席副社長としてトレーダー業を行う。1991年に帰国すると、国際金融から国内営業に転じ、課長級の興銀本店営業本部業務部副参事役に就任。調査役として新日本製鐵等の鉄鋼業や、自動車業、ノンバンク及び福岡支店の案件の審査を担当し、兵庫銀行救済問題にもあたった。以後、国際営業二部参事役等を務め、興銀法人営業部門で、エネルギー関連、自動車、電機関連、商社などを担当。1997年から同行バンコク支店長。同年のアジア通貨危機の中、タイ財務相や中央銀行総裁との面会を重ね、5億ドル以上の融資を行う。2000年から興銀執行役員、2001年から常務執行役員調査本部長、2002年からみずほ銀行常務執行役員、2003年からみずほコーポレート銀行(現:みずほ銀行)常務執行役員・米州統括役員。2006年退任。
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