自身の経験と実際の地理の諷示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 18:26 UTC 版)
「灯台へ」の記事における「自身の経験と実際の地理の諷示」の解説
ウルフの『灯台へ』の執筆は、彼女の両親に関する解決されていない問題への理解と対処から始まった面も一部ある。、そして確かに、本文中には彼女の実際の生活と類似している箇所が散見される。彼女が両親、家族と一緒に、父親が別荘を保有していたコーンウォール州のセント・アイヴスを訪問したことは、おそらく彼女の人生の中で一番幸せなひとときであっただろう。しかし13歳のときに母親を亡くし、父親レズリー・スティーブンもラムジー氏のように、塞ぎ込んで自己憐憫に陥ってしまう。ウルフの姉ヴァネッサ・ベルは回想で、ラムジー夫人が登場する章を読んで居たときは、母親が死から蘇ったかのように錯覚したと記述している。 彼らの弟、エイドリアンは、小説中のジェームズが灯台へ行きたいと熱望し、旅行の中止を受け落胆したのと同様に、ゴッドレビー灯台への旅行が許されなかった。リリー・ブリスコーの絵画のための黙想はウォルフが自身の創造的なプロセス(また画家である彼女の姉のプロセスも)を探求する一つの手段である。なぜなら、ウルフが執筆に抱く思いが、リリーの作画に抱く思いと同じであるからである。 ウルフの父親は1882年、ウォルフの誕生日のすぐ後、セント・アイヴスにタラントハウスを借りた。その家は次の10年間、ウォルフ一家の夏の間の「隠棲所」として住まれることになる。「灯台へ」の本文の主な舞台である、ヘブリン島にある家は、ウルフがこのタラントハウスをモチーフに考えついたものである。海に繋がる緑色の庭、海そのもの、灯台など、たくさんのセント・アイビス湾の実在する特色ある事物が小説に登場する。 確かに小説中では、ラムジー一家は戦後スカイ島にある家に戻ることができたが、スティーブンはそのときタランドハウスを手放していた。戦後、バージニア・ウルフは、新たな持ち主に彼女の姉ヴァネッサを迎えたタラントハウスを訪れ、その訪問は両親が死んで長い時が経過しても繰り返された。
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