自由、平等、性の解放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:33 UTC 版)
五月革命の特徴は「学生たち」が状況を先導したところにあり、従来の政治的枠組みをméthode obsolète(時代おくれのやり方)としてみせた。 これは、当時のフランス市民たちに新しい政治の季節の到来を予感させるものだった。若い学生たちはそれまでの「父権的な政府」も官僚的で怠慢な労働組合の幹部も拒否し、「若く斬新な政治姿勢」をうちだして、若者と市民数の力で圧倒しようとした。また彼らは戦後高度経済成長に育ったベビーブーマーであり、急激に数の膨張した大学生だった。 1938年、フランスの大学生は6万人にすぎなかったが、それが1961年に24万人、1968年までに60万5,000人にまでふくれあがる。それまで特権階級の場だった大学は一般に開かれ、よりつつましい階級の家庭の学生の比率が膨らんだ。旧態依然としたド・ゴール政権(ド・ゴール主義)は彼らを発言権のある存在としてはみとめておらず、倦怠と抑圧を感じる学生の不満は高まっていた。彼らは広い意味で「平等」をもとめていた。社会にも、階級にも、帝政の歴史にも、第3世界にも、政治にも。 「Egalité! Liberté! Sexualité!―平等!自由!セクシャリティ!」は革命運動時の学生の重要なスローガンとなった。古い世代の制度と新しくふくらんだ大学生のあいだでに生じた摩擦はやがてマニフェストをともなったデモやゼネストというかたちで顕在化されるようになる。
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