自然主義の誤謬 (Naturalistic fallacy)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 23:34 UTC 版)
「詭弁」の記事における「自然主義の誤謬 (Naturalistic fallacy)」の解説
詳細は「自然主義の誤謬」を参照 A「私達はこれまでずっとこの土地で協力し合って暮らしてきた。だからこれからもそうするべきだ」 B「Aさんはホットケーキが好きだ。だからホットケーキを食べさせてあげるべきだ」 Aの発言は、記述文(「XはYである」という形式の文)の前提から規範文(「XはYすべきである」という形式の文)の結論を導いている。この形式を「自然主義の誤謬」(自然主義的誤謬)と言う。この推論はあらゆる場合に間違い(偽)というわけではないが、あらゆる場合に正しい(真)わけでもなく、この種の論法が論理的な推論法としてもし有効であるなら、あらゆる改革や変更は許容されなくなる。Aの発言は「人類は多くの戦争と殺戮を繰り返してきた。だからこれからもそうするべきだ」という主張と論理構造が等しい。「である」という観察事実から「べきである」という指針を引き出すことはできないとの主張はヒュームの法則といい、この種の誤謬はIs-ought problem(である-べきであるの混同)とも言う。また帰納法の誤謬を含めた広義の意味では「である」という観察事実から「であろう(予測)」という指針を引き出すことも出来ない(帰納法参照)。
※この「自然主義の誤謬 (Naturalistic fallacy)」の解説は、「詭弁」の解説の一部です。
「自然主義の誤謬 (Naturalistic fallacy)」を含む「詭弁」の記事については、「詭弁」の概要を参照ください。
自然主義の誤謬と同じ種類の言葉
Weblioに収録されているすべての辞書から自然主義の誤謬を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 自然主義の誤謬のページへのリンク