自伝に関する論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 05:51 UTC 版)
「カルミネ・クロッコ」の記事における「自伝に関する論争」の解説
クロッコの回想はその真正性をめぐって今なお論争が絶えない。クロッコが記憶していたものを紙に書き留め、イタリア王国軍の隊長(刑務所長)エウジェニオ・マッサ(Eugenio Massa)が手助けをしたという。しかし、そもそもようやく読み書きができる程度の山賊がヴィクトル・ユーゴーなどを引用するだろうか、という疑問が残る。クロッコは監獄の中でよく読み書きの勉強をしたとマッサは主張したのだが。 また、敗者の足跡を消すために、自伝的記述は装飾・捏造されているとも言われる。トンマーゾ・ペディオ(Tommaso Pedio、ポテンツァ出身の歴史家、作家、 1917年11月17日-2000年6月30日)は事実に即していないか、もしくは正確に再構成されていない逸話を指摘している。ベネデット・クローチェに至ってはきっぱりとクロッコの自筆自伝を贋作としている。エットーレ・チンネッラ(Ettore Cinnella、歴史家、1947年-)は復讐譚は根拠が薄いと考えている。何故ならクロッコが自伝で語っている時代と場所ではいかなる殺人事件もなかったとマッサが証言したのだから。 一方、クロッコやメルフィの無頼集団に関する本の作者、バシリーデ・デル・ツィオ(Basilide Del Zio)はクロッコの手によるものは真実であると考えた。そして、インドロ・モンタネッリは誇張と隠匿にまみれた一作品ではあるが、無頼たちの生き様を巧みに記述していると一定の評価を与えた。
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