脅威の「ナノ・111」
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その後は好調と不調の波がしばらく続いたが、2007年8月に新たに購入し、実戦投入したエンジンが山田を更なる高みへと押し上げた。同年1月11日に生まれた愛娘の名前と誕生日をもじって「ナノ・111」という呼名を与えられたそのエンジンは近年稀に見る程の超抜機で、その好調ぶりは他の選手が脱帽する程だった。山田はスタートにかけては日本最速とまで評されるが、時折そのスタートでミスをすることがあった。多くの場合はスタート時に白煙を噴いて空回りし、大きく出遅れてしまう。そうなれば、従来の山田であればそこまでであった。しかし、新車「ナノ・111」号に乗り変えてからは、たとえスタートに失敗しても後方から追い上げて勝利出来るようになった。この好調エンジンに引っ張られるようにして山田の技術も更なる向上を見せ、特に捌きにかけては大幅な成長を遂げた。10月には地元の一般開催で圧倒的な完全優勝を飾るなど、その力は凄まじい物であった。 そして、2007年11月4日、SG第39回日本選手権オートレース優勝戦。「ナノ・111」という超抜エンジンに加え、選手間で評判の高い超抜タイヤであった「48タイヤ」(製造番号が「48」のタイヤのこと)を装着し、因縁の1号車で優勝戦に臨んだ。そして、フライング発生に伴う二度目のスタートでトップスタートを切ると、見る見るうちに後続を引き離し、50メートル程度をつける独走劇にて優勝を飾ったのである。 完全に勢いに乗ったまま迎えたSG第22回スーパースター王座決定戦でも圧倒的な力を見せ付け優勝。SG連勝により、2007年度賞金王と最優秀選手に選ばれた。 しかし、このSS王座決定戦の優勝を最後に圧倒的な強さは影を潜め、山田は優勝の美酒から遠ざかることとなり、長らくA級のレーサーとして、時折往年の走りの片鱗をみせるに留まっていたが、2021年11月には2007年の「スーパースター王座決定戦」以来の優勝を飾るなど成績を残し、「2022年度前期適用ランク」にて久々S級(S42)に昇格を果たした。
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