肖像画の像主問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 13:33 UTC 版)
高野山成慶院所蔵の長谷川等伯筆「絹本著色武田信玄画像」という壮年武将像を描いた肖像画がある。その肖像の中にある人物は、両鬢が薄く入道頭で角度によれば剃髪した人物にも映る。また、丸顔で恰幅がよく体格は老齢に近いにもかかわらず、健康的である。 この肖像の像主は甲斐国の武田信玄を描いたものとされているが、近年では藤本正行により像主問題に疑義も提唱されている。像主問題に関しては守屋正彦など信玄像主説を支持する見解もあるが、藤本正行は武田菱の家紋が描かれておらず、また39歳を数えて出家して以降、信玄は肖像を残さなかった等の点を指摘し、畠山氏の家紋も記され等伯と能登にゆかりがあることからも畠山義続を描いた可能性を提唱している。ただし、義続自身も天文20年に若くして剃髪しており、像主に髷があることは、義続ではないということをも同時に意味する。また、同じ長谷川等伯が永禄11年に描いた「法華経本尊絵曼荼羅」に、まさに義続その人であろう剃髪姿の「徳祐」が描かれており、成慶院蔵の人物像とは全く似ていない。
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