聖パトリックの祝日のバッジ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 16:40 UTC 版)
「聖パトリック旗」の記事における「聖パトリックの祝日のバッジ」の解説
以前は、聖パトリックの祝日に紙もしくはリボンで作られた十字をつけるのは一般的な風習であった。しかしながら、今に伝わっているそれらのバッジは多くの色があり、サルタイアーというよりはまっすぐな形で着用されていた。 リチャード・ジョンソン (Richard Johnson) の『キリスト教世界の7人の闘士』(Seven Champions of Christendom,1608年)の第2部では、聖パトリックに対する空想的な解説の最後に「アイルランド人はイングランドのみならずかの国においても、いまだ彼の名をたたえて年1回の祭りを行い続けており、彼の冒険の象徴として、おのおのの帽子のクリスチャンクロスの下に、赤いシルクの十字をつける。」としている。ブリテン島に配置されたアイルランド人兵士は、「彼らの国の風習として」聖パトリックの祝日に赤い十字をつけていたということが、1628年の記録で伝わっている。 1681年にアイルランドを旅行したトマス・ディナリー (Thomas Dinely) は「アイルランド人は身分や境遇にかかわらず、帽子に十字をつけており、あるものはピン、あるものは緑のリボンである。」と記している。ジョナサン・スウィフトは1713年、聖パトリックの祝日のステラに向けて、「ザ・マルは十字でいっぱいで、私は世界全部がアイルランドのように感じました。」と書いている。1740年代において、ピン止めされるバッジは多彩な色の織り布で作られていたが、1820年代には多色のデイジーパターンというシンプルなもので、子供だけがつけるようになっていた。1890年代にはそれらもほぼ絶滅し、緑色のギリシア十字が円形の紙の上に描かれているというシンプルなもの (上記のバリナの紋章に近い) となった。アイリッシュ・タイムス (The Irish Times) は1935年に、それらはダブリンの貧民街ではまだ売られているが先年よりは少なくなり、「いくらかはビロード、もしくは刺繍の絹またはポプリンで、シャムロックとリボンを組み合わせた金紙の十字がついている。」と報じている。
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