翻訳文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 08:55 UTC 版)
コルドバを中心に図書館が建設され、多数の文献の書写や翻訳が行われた。ギリシア哲学やギリシア科学、キリスト教文書がアラビア語に訳され、ラテン語にかわってアラビア語の普及がすすんだ。コルドバはバグダードと並ぶアラビア語の翻訳文化の拠点となり、書物の取引も活発に行われ、バレンシアのハティバ(シャティバ)にはヨーロッパ初の製紙工場も作られた。当時のコルドバについては、ロスヴィータが「世界の宝飾」と表現している。 アラビア語から他の言語への翻訳もすすみ、レコンキスタの進展後も続いた。アルフォンソ10世は@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}トレドに翻訳研究所を設置し[要検証 – ノート]、アラビア語からモサラベ語やラテン語への翻訳をすすめた。レコンキスタ進展中にトレドで活躍した一群の翻訳家たちを「トレド翻訳学派(英語版、スペイン語版)」、「トレドの翻訳者集団」などという。訳された書物は北方にも伝えられ、ヨーロッパ文化に影響を与えた。
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