ロスヴィータ
ロスヴィータ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:17 UTC 版)
ロスヴィータ(Hrotsvit、またはHrotsvitha, Hroswitha, Hrosvit, Roswitha, 935年頃 - 973年頃[1])は、現ニーダーザクセン州バート・ガンダースハイムのガンダースハイム修道院にいた10世紀ドイツのベネディクト会律修修女、ならびにオットー朝ルネサンス(Ottonian Renaissance)に属するラテン語の劇作家、詩人。
- ^ カトリック百科事典1911年版は、生年は930年から940年の間、没年は1002年頃としている
- ^ Jones, Charles W. (2001). Medieval Literature in Translation. Mineola, N. Y.: Dover. pp. 210. ISBN 0-486-41581-3
- 1 ロスヴィータとは
- 2 ロスヴィータの概要
- 3 参考資料
ロスヴィータ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 02:02 UTC 版)
分水嶺に所属する修道女の一人。新教徒に襲撃された旧教会孤児院の唯一の生き残りで、エーデルガルトに拾われて修道女となった。孤児院時代から顔の右側上半分に包帯をしており、足も不自由で杖を常用している。
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ロスヴィータ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:07 UTC 版)
レティーツィアの筆頭側仕え。アーレンスバッハの出身だが第一夫人の娘がドレヴァンヒェルに輿入れしたときに側近として同行し、レティーツィアがアーレンスバッハ引き取られたときに側近につけられてアーレンスバッハに戻ってきた。そのため、養父母がすでに亡く実の両親から離れて暮らすレティーツィアにとっては母親代わりの存在である。
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