羽田空港地区の町名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 01:43 UTC 版)
羽田空港(東京国際空港)用地は、もとは多摩川(六郷川)河口に位置する砂州であった。この地は天明年間(1781 - 1789年)に羽田猟師町の鈴木弥五右衛門によって干拓され、後に彼の名を冠して鈴木新田と称された。鈴木新田が羽田猟師町から分離するのは文化12年(1815年)のことである。鈴木新田は明治22年(1889年)羽田村大字鈴木新田となり、昭和7年(1932年)の蒲田区成立に際して羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町となった。これら3町の所在地は海老取川(多摩川から分流する派川)の東側で、現在の羽田空港用地西端の整備地区周辺にあたる。これら3町の沖合(東側)には江戸幕府の築いた御台場(砲台)の跡があり、羽田三村(羽田村、鈴木新田、羽田猟師町)の飛地となっていた。この地は現在の国際線ターミナルビル付近にあたり、昭和7年(1932年)の蒲田区成立に際して羽田御台場、鈴木御台場、猟師町御台場の3町となった。なお、戦前の地図をみると、羽田鈴木町の東方に羽田御台場、鈴木御台場、猟師町御台場の3つの町名が併記されており、これら3町の境界線は明示されていない。 終戦直後の昭和20年(1945年)9月21日、海老取川以東の羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町は連合国軍によって接収され、ハネダ・エアベースとなった。この際、地区住民約3千人は48時間以内の全員強制退去を命じられ、地区にあった建物等はすべて撤去された。エアベースが日本国に返還され、東京国際空港(羽田空港)となったのは昭和27年(1952年)のことである。 強制退去により住民がいなくなった後も羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町、羽田御台場、鈴木御台場、猟師町御台場の6町名は形式的には昭和42年(1967年)まで存続していたが、同年の住居表示実施によって羽田空港一・二丁目となった。
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