美術館問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 01:21 UTC 版)
「沖縄県立博物館・美術館」の記事における「美術館問題」の解説
2006年5月以降、十分な議論がないまま美術館運営に関するさまざまな重要事項が決定し、問題となった。 名称に関しては、1995年の基本構想においては「沖縄県立現代美術館」という名称であった。しかし、2006年5月には突如「現代」を省き、さらに博物館との併記である「沖縄県立博物館・美術館」とする案が浮上し、以後この名称で計画が進行することとなった。これに対し、一方的な変更に対する批判が起き、一部団体から公開質問状が提出された。県はこのことに対し、1つの美術館しかない沖縄においては「現代」という名称を付けることにより、他にも県立美術館があるかのような印象を与え、さらに博物館と美術館の両方を県民に分かりやすいように命名する必要から「沖縄県立博物館・美術館」としたと述べている。 さらに同時に、館長は博物館長、美術館長兼任する1人を置く管理運営方針が検討された。博物館や美術館などに関する法律には博物館法があるが、その中において1つの施設に1人の館長を置くとなっており、館長を1人しか置かないことから博物館と美術館は別々の施設という扱いではなく、1つの施設としての扱いとなることになった。なお、博物館、美術館の専門家をそれぞれ副館長として2人置くこととしたが、専門館長でない場合、他の美術館などから展示品を借用する場合、信用が得られない場合が多くなる可能性が指摘された。 その後、指定管理者制度の導入も検討された。沖縄においては初の県立の美術館となることから他県における美術館運営の財団が存在しないため、指定管理者制度が導入された場合は必然的に民間の企業が指定管理者となる。そのため、採算性を重要視した運営が行われ、企画展の中止や、観光客向けの企画展の開催など県民向けの企画展の開催が行われなくなるなどの問題点が指摘された。 しかし、同年12月の条例決定の県議会において、野党は「県立現代美術館」として独立させる修正案を出したが否決され、与党の博物館・美術館を複合施設とする案が成立し、県立博物館・美術館の設置及び管理に関する条例として可決された。これにより、博物館・美術館を複合施設として設置することや、指定管理者が企画展を実施できることや入場料の基準などが決定された。なお、この条例の可決により、県立美術館としての独立した施設としての開館は無くなり、1995年に策定された「沖縄県立現代美術館」としての基本計画は事実上消滅した。
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