縄文人の用いた舟艇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:46 UTC 版)
これまでに出土した事例に見る限り、縄文人が航海に用いたのは一本の丸太を刳り抜いた丸木舟であったと考えられている。帆柱の跡やオール受けの跡は検出されていないため、(カイトセイリングのように帆柱を用いない形式での帆走を行った可能性は否定出来ないまでも)基本的にはパドリングによる推進であった可能性が高い。 船体の断面は関東地方出土の丸木舟を見る限りでは半月型 あるいは三日月型であり、弥生時代以降の凹型断面の丸木舟とは異なる特徴を示している。船体長は最大で残存長7メートルから8メートルのものまであるが(例えば千葉県香取郡多古町島(七升)出土の縄文前期のものは残存長7.45メートル、残存幅0.7メートル)、小さいものでは4メートル以下のものも多数出土している。 材はアカマツやクロマツ、カラマツ、カヤ、ケヤキ、ムクノキ、クスノキなどの例がある。 なお、1982年には松江市内の小中学校の教師の有志5名により、「からむしII世」と名付けられた丸木舟による黒曜石の運搬実験が行われ、隠岐の宮尾遺跡から本州の松江市美保関町の七類港まで15キロの黒曜石を1日で運搬することに成功している。
※この「縄文人の用いた舟艇」の解説は、「縄文人」の解説の一部です。
「縄文人の用いた舟艇」を含む「縄文人」の記事については、「縄文人」の概要を参照ください。
- 縄文人の用いた舟艇のページへのリンク