緑蔭や矢を獲ては鳴る白き的
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
夏 |
出 典 |
颯 |
前 書 |
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評 言 |
歳時記に「緑蔭」とは、明るい日射の中の緑したたる木立の影とある。 緑と的の白との対称が美しい、緑蔭の中に立つ真っ白な所のみはっきり見える的、的がはっしと矢を受けとめた瞬間を、見事に詠みあげた一句である。 あくまでも「的」が主体で、的が矢を獲るのである。 その的こそ男まさりの性格と意志。 俳句に対峙した姿勢、女性俳句の勃興の一翼をになった女流俳人しづの女自身の姿である。 大正9年「ホトトギス」の巻頭句になった 短夜や乳ぜり啼く児を須可捨焉乎(すてつちまをか) しづの女 から数えて15年目の、昭和10年9月ふたたび「ホトトギス」の巻頭になったしづの女の代表句である。 没後28年、昭和54年故里の福岡県行橋市稗田の地に、この一句を刻まれた句碑が建立された。 春逝くや家売り捨てし村に棲み しづの女 昭和20年、戦後の「農地改革」で農地を人手に渡さないため自ら農耕をする決心をし、小屋を建て移り住み、苦労して守った田んぼも、今は人手に渡り、その田の見える地に句碑は建立されている。 昭和26年8月3日没、享年64才、墓地には 子といくは亡き夫といく月真澄 しづの女 の句碑がある。 ペンが生む字句が悲しと蛾が挑む しづの女 蛾の眠すら羞ぢらはれてゐて書を書く しづの女 の二句が絶筆である。 出典:『颯』昭和62年 沖積舎 定本:『竹下しづの女文集』昭和39年 星書房 |
評 者 |
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備 考 |
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