緑化の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 09:06 UTC 版)
1985年(昭和60年)頃より大規模な採石で岩肌がむき出しになった様が市民に注目され始め、平成に入ってから市議会でも自然の修復・山肌緑化を求める声が上がり始めた。また、菅島を訪れたウッズホール海洋研究所所長のジェームス・エバート(英語版)教授は採石場を目にして「これはひどすぎる。君らは美しい日本の自然を破壊者どもにゆだねておくのかと言った。菅島が荒廃の果てに消滅する前に、再生の余力を持っている間に、緑の島に返さねばならない。」と語ったという。市議会では、採石料・入会地・貴重な自然など多数の問題が明らかになった。これにより、市はようやく重い腰を上げ、2002年(平成14年)10月に検討委員会で菅島に自生する植物で緑化することを決めた。2003年(平成15年)1月には2014年(平成26年)春までに緑化を完了する契約を市と業者が締結した。採石収入を緑化費に充てる計画であったため、不況により進捗は遅れ、2014年3月までの完成は絶望視された。その後、市と業者は2014年3月に事業の2021年度末までの延長契約を締結した。市側は契約期限をもって採石の終了を望んでいるが、業者側は緑化の完了した場所での採石の再開と更なる採石継続を求めている。市民の間では景観保護を求める意見と地場産業としての事業継続を望む意見が拮抗している。2016年(平成28年)10月12日の鳥羽市議会本会議で135万m3のかんらん岩の追加採掘を認める案を賛成多数(反対1)で可決し、業者に緑化を徹底させるための監視委員会の設置や売却額を1m3あたり98円に値上げすることも決まった。
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