総量功利主義と平均功利主義とは? わかりやすく解説

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総量功利主義と平均功利主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:04 UTC 版)

功利主義」の記事における「総量功利主義と平均功利主義」の解説

総量功利主義とは、社会全体総効用多ければ多いほど正義適った状況であると考え立場である。これに対し平均功利主義は、社会の各構成員たる個人平均的な効用水準引き上げるよう要求する立場である。 総量功利主義出発点として、政治社会出生によって参入することの価値高く評価する総量功利主義者にとって、まだ生まれない状態が最も不幸な状態であり、そのため一人でも多く人間この世出現させることが道徳的善であると考える。 これに対し平均功利主義は、総量だけを追い求めることの反直観的帰結後述)や、政治社会参入しない方が良い思われる不幸な境遇という事実を問題視する。そのため、個人実質的な一定の閾値上の効用確保目指すのである。 ただし、いずれの立場も反直観的な帰結正当化するという欠点を含むとの批判がある。 まず総量功利主義について、次のような2つ社会考える。(要素内の数字各個人の持つ効用とする。) A={20,20,20,20,20} B={1,1,1, ...... ,1} (効用1の個人101存在する社会総量功利主義によれば効用総量100社会Aに対し社会Bは101であるという理由からBが「正しい」社会であるとして正当化される。しかし、効用1は効用20比して明らかに生活水準の劣るものであり、人数単純な総効用のみに基礎づけを求めることは反直観的である。 同様に平均功利主義についても2つ社会考える。 C={20,20,20,20,20} D={100,1,1,1,1} 平均功利主義によれば、Dが正当化される。Cの平均効用20対し、Dの平均効用は20.8となるためである。しかし、Dを正当化することは、Cと比した際の莫大な不平等性を放置することになり、これも反直観的である。

※この「総量功利主義と平均功利主義」の解説は、「功利主義」の解説の一部です。
「総量功利主義と平均功利主義」を含む「功利主義」の記事については、「功利主義」の概要を参照ください。

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