総選挙支援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/24 16:20 UTC 版)
明治25年(1892年)の第2回衆議院議員総選挙では総理大臣・松方正義の依頼を受けて1月から2月まで近畿・瀬戸内東部地方で政府系候補の支援活動を行なった。この時の身分は渡米時から続いていた特命全権公使で、同年9月にこれを免ぜられた。 この選挙では品川弥二郎や白根専一が強力な選挙干渉を行ない、警察官に武力行使を命じて高知県などで死者が出たことが有名である。九鬼も警察官への命令を下しているが、政党系候補の支援をする壮士の取締りなど、相対的に消極的な方針を示している。むしろ政府系候補者の一本化や、三井家・住友家など財閥、美術調査で面識を得た本願寺への働きかけ、資金の効率的な運用などに力を注いだ。 法的な根拠を持たない身分での出張だったため、京都府知事の北垣国道が独立に行動するなどしたが、結果として九鬼の活動した地方では奈良県の4増をはじめ政府系候補が10議席増加し、自由党の大物である大井憲太郎を落選に追い込むなどの成果を収めた。しかし選挙後は大臣候補にすら名前が上らなかったため松方と袂を分かち、伊藤博文に接近していく。
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