総合背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 10:18 UTC 版)
マウテ・グループは2016年2月以降南ラナオ州に本拠地を築き、2016年のダバオ市爆破テロと同年のマラウィの南に位置する町南ラナオ州ブティクの2件の攻撃で非難されている。2013年の過激派グループの創設以降、フィリピン政府はフィリピンにおけるISISの脅威を軽視してきた。2016年2月のマウテ・グループとのブティクでの武力衝突に続き、当時の大統領のベニグノ・アキノ3世は国内のISILの存在する可能性について無視してきた。彼は攻撃の背景には中東に拠点を置くテロリストグループに認識してもらうことを望んでいる傭兵がいると述べた。 アブ・サヤフは過去の爆破テロや誘拐で非難されており、2014年以降ISILに忠誠を誓っていると報じられた。同組織のリーダーの一人、イスニロン・ハピロンはアメリカ合衆国国務省の「正義への報酬プログラム」のリストに掲載されており、身柄拘束に懸賞金500万ドルがかけられている。アブ・サヤフはカナダのビジネスマンのジョン・リズデルを2015年に誘拐しその後2016年4月に斬首して殺害したが、その数日後アキノは自身もアブ・サヤフからの暗殺の脅威にさらされていることやアブサヤフが妹のクリスと元プロボクサーのマニー・パッキャオを誘拐する計画も立てていると明らかにした。アキノはまた「ISISに賛成する努力の一環」としてハピロンがニュービリビド刑務所にいる部下を通して他の受刑者を自分達の主義に転化させてマニラ首都圏での爆破テロを試みていると述べた 2016年11月、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領はマウテとISILがリンクしていると認めたが、フィリピン軍はフィリピンにおいてISILはリンクは確立していないとの姿勢を維持した。2016年11月30日のブティグでの激戦の中、ドゥテルテは南ラナオ州のコマンド・ブリーフィングでマウテに対し警告を残した:「Ayaw ko makipag-away sa inyo. Ayaw ko makipag-patayan」(私は君たちと戦うことは望まない。私は互いの殺し合いに関与したくはない) が、どうか私の手を使わせないでくれ。para lang makipag-usap(ただ話し合うために)毎月ここを延々と訪れることはできない。at pagtalikod ko patayan nanaman (そして私が去った後は再び殺す) 私は何も言いたくはないが、どうか私の手を使わせないでくれ」 2016年12月2日、軍がブティグを奪還したときに、退却したマウテの戦闘員がドゥテルテと軍を斬首すると脅すノートを残していったと報じられた。2016年12月12日、ワランス・ビジネスフォーラム・ディナーの前のスピーチでドゥテルテはマウテ・グループに対しマラウィを攻撃してみろと挑発し「奴ら(マウテ・グループ)はマラウィを燃やすために山から下りてくると脅しているからだ?やればいい、どうぞご自由に。我々は向こうで待っている、Walang problema (問題ない)」と述べた 2017年4月から5月まで、アブ・サヤフはボホルでのフィリピン軍と交戦しており、少なくとも4人の政府職員が死亡した
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