維新政府への出仕と遣欧使節副使とは? わかりやすく解説

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維新政府への出仕と遣欧使節副使

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:09 UTC 版)

山口尚芳」の記事における「維新政府への出仕と遣欧使節副使」の解説

新政府においては明治元年1868年3月外国事務局御用掛、4月外国官5月大阪府判事試補9月越後府判事続いて東京府判事外国掛、11月には外国官判事になるとともに箱館府在勤を命ぜられ、従五位下叙せられる。明治2年1869年1月長崎出向きフルベッキ対し東京新たに大学作るため招聘する伝えフルベッキはこれを受諾する4月外国官判事東京府判事となり通商司総括命じられる5月会計官判事を命ぜられ、6月には会計官判事をもって大阪府在勤を命ぜられる。7月大蔵大輔民部大輔兼務し同郷大隈重信補佐して大蔵大丞民部大丞となる。 明治3年1870年5月北海道開拓御用掛を命ぜられ、明治4年1871年8月には外務少輔転じた同年10月従四位叙され上で米欧視察および条約改正下準備として岩倉全権大使とした岩倉遣欧使節派遣されるにおよび団員となり、大久保利通木戸孝允伊藤博文とならぶ副使任命されて、明治6年1873年9月まで、各国歴訪した。その際子息俊太郎を帯同し、彼を英国留学させたまま帰国する

※この「維新政府への出仕と遣欧使節副使」の解説は、「山口尚芳」の解説の一部です。
「維新政府への出仕と遣欧使節副使」を含む「山口尚芳」の記事については、「山口尚芳」の概要を参照ください。

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