結婚、子ども、後半生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 08:05 UTC 版)
「エリザベス・ペラトロビッチ」の記事における「結婚、子ども、後半生」の解説
1931年12月15日にロイ・ペラトロビチ (1908–1989) と結婚、夫はトリンギット族とセルビア系の血を引き、缶詰工場で働いていた。夫妻はクロウォックに住み、夫ロイは市長に4選する。 転職と子どもの将来を考えた夫妻はジュノーに移り、アラスカ先住民としてより広範な社会格差と人種差別に触れる。子どもは3人で娘ロレッタとロイ・ジュニアとフランクの息子ふたり。 その後、ペラトロヴィチ家はロイが経済学を学ぶためカナダへ引っ越し、ロイはノバスコシア州アンティゴニシュ(英語版)の聖フランシスザビエル大学で学位を取得、卒業後、コロラド州デンバーに移り、ロイはデンバー州立大学で学業を続ける。一家は1950年代にオクラホマ州に引っ越した後、アラスカに戻った。 エリザベス・ペラトロビチは1958年12月1日に癌で亡くなる。アラスカ州ジュノーのエバーグリーン墓地に埋葬され、夫のロイも同じ墓に眠る。 長男ロイ・ジュニアはアラスカで著名な土木技師でメンデンホール川にかかるブラザーフッド橋(英語版)(ジュノー) を設計、この橋を高速グレーシャー線が通る。1979年に建築共同事務所ペラトロビチ・ノッティンガム・ドレイジを設立 (現・PNDエンジニア社)。土木建築の専門家として現役を退いた後は、ワシントン州ベインブリッジ島を拠点とするアーティストとして活動している。
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