精神分析的読解の試み・1980年代以降
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「フェミニスト映画理論」の記事における「精神分析的読解の試み・1980年代以降」の解説
1980年代に入ってからのフェミニスト映画理論は、マルヴィの受容と批判を手掛かりに、まず精神分析手法の検討から開始された。 精神分析を映画の読解に応用するこころみは、すでにフランスのクリスチャン・メッツやジャン=ルイ・ボードリ (en) らによって着手されていたが、フェミニスト映画理論とのかかわりでは、とくに女性が一方では映画に登場して男性(監督・観客)によって見つめられる存在であることと、同時に女性が「観客」として同じスクリーンを見つめる存在でもあることとの関係解明に関心が向かった。 この時期には、マルヴィが用いたラカン派の精神分析手法がしばしば援用され、とくにラカンが「眼とまなざしの分裂」(『精神分析の四基本概念』)で示した分析の枠組み、すなわち「まなざし le regard (gaze)」は〈無意識の領域から出発しながら自らを意識的なものとして構成しようとする〉という枠組みが好んで引用された。 メアリー・アン・ドーンは論文「『魅せられて』と『レベッカ』:不在としての女性性の刻印」(1981)を皮切りに、多くの映画作品の精神分析的読解に取り組んだ。とりわけ論文「欲望を覆い隠す:女性のクローズアップ画面」(1989)では、いわゆるスター・システムが成立したのちのハリウッド映画を題材に、グレタ・ガルボなど大女優の整った容貌がしばしばヴェールで覆い隠されたり、また複雑な陰影・強いソフトフォーカスなどの手法で顔を直視できない工夫が凝らされていることに注目し、ラカンを援用しながらジェンダー表象の原型抽出をこころみている。 またカジャ・シルヴァーマン (en) 、テレサ・デ・ラウレティス (en)なども映画に現れた女性性の役割・構造を精神分析の立場から読み解こうとする研究を行っている。
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