粤軍における軍歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 00:46 UTC 版)
祖父は進士、父は塾教師の家庭に生まれたが、蒋光鼐が生まれた当時はすでに家は貧しかった。1905年(光緒31年)、成績優秀のため学費免除で東莞師範学堂に入学する。この時に中国同盟会に加入した。1906年(光緒32年)、広州に移り、黄埔陸軍小学第2期で学んだ。1909年(宣統元年)、南京第4陸軍中学に入学する。1911年(宣統3年)10月、辛亥革命が勃発すると、武昌へ急行し、革命派の軍に参加して清朝の軍と戦っている。 1913年(民国2年)の二次革命(第二革命)にも参加した。しかし敗北して日本に亡命し、大森浩然廬学校で学ぶ。1914年(民国3年)には、中華革命党に加入している。帰国した後は、護法運動に参加し、東征(陳炯明討伐)などで軍功を重ね、順調に昇進した。 1925年(民国14年)7月の国民政府成立の際には、陳銘枢が率いる国民革命軍第4軍第10師において副師長に就任している。民国15年(1926年)の北伐では、蒋光鼐は陳銘枢に従って力戦奮闘して、呉佩孚率いる直隷派を撃破し、国民革命軍第4軍が「鉄軍」と呼ばれる栄誉に貢献した。武漢攻略後、第10師は第11軍に拡充され、蒋は第11軍副軍長兼第10師師長に任命された。
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