箟峯寺
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![]() 箟峯寺(2019年3月) |
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所在地 | 宮城県遠田郡涌谷町箟岳字神楽岡1 |
位置 | 北緯38度33分53秒 東経141度10分44秒 / 北緯38.564833度 東経141.179度座標: 北緯38度33分53秒 東経141度10分44秒 / 北緯38.564833度 東経141.179度 |
山号 | 無夷山 |
宗旨 | 天台宗 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
創建年 | 大同2年(807年) |
開基 | 坂上田村麻呂 |
中興年 | 嘉祥2年(849年) |
中興 | 円仁 |
正式名 | 無夷山 箟峯寺 |
別称 | 箟岳観音 |
札所等 | 奥州三十三観音 第9番 |
文化財 | 観音堂(県指定有形文化財) |
法人番号 | 1370205001128 |
箟峯寺(こんぽうじ)は宮城県遠田郡涌谷町にある天台宗の寺院である。
概要
山号は無夷山(むいさん)。本尊は十一面観世音菩薩。別称は箟岳観音(ののだけかんのん)。箟岳山の山頂にあり、奥州三十三観音の第九番札所に数えられている。大同2年(807年)に坂上田村麻呂の創建と伝えられ、当初霧岳山正福寺と称していたが、嘉祥2年(849年)に円仁が中興し、無夷山箟峯寺と改称した。奥州七観音の1つにも数えられた。
歴史
- 807年(大同2年) - 京都清水寺より十一面観世音菩薩を御本尊として勧請(かんじょう)した。
- 1851年(嘉永4年) - 火災によって消失していた観音堂を再建[1]。
- 2008年(平成20年) - 33年に1度の御本尊の御開帳が行われた。
観音堂
江戸時代に建てられた仏堂としては県下最大規模である実長14.9メートルの方形平面に宝形造の屋根を架し、前面三間に唐破風向拝が付く。内部は、内陣の周囲に外陣を配し、内陣奥には宮殿型厨子が置かれる。建築年は1851年。2019年(平成31年)宮城県から有形文化財に指定された[2]。
脚注
関連項目
- 興福寺 - 登米市にある当寺の末寺。
- 宮城県指定文化財一覧
外部リンク
- 箟峯寺 - 涌谷町公式サイト
箟岳観音
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無夷山箟峯寺(むいざん こんぽうじ)宮城県遠田郡涌谷町箟岳 奥州七観音(六箇寺) 奥州三観音(田村三観音) 奥州三十三観音 第9番 『風土記御用書出』では大武の骸を埋めて観音を建立したとある。奥浄瑠璃『田村三代記』では大嶽丸が籠った「箟嶽山きりんが窟」として登場する。また首塚を築いて観音堂を建てたと語られる。箟峯寺の縁起では、延暦年間に延鎮が開基、大同年間に坂上田村麻呂が観音堂を建立して霧嶽山正福寺とし、嘉祥年間に慈覚大師が中興して無夷山箟峯寺と改めたと伝える。箟嶽山には洞窟がなく、霧嶽山正福寺の「キリ」から考え出されたものと思われる。文化7年、坂上田村麻呂一千年忌に牧山観音とともに供養塔が建立された。
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