筑紫広門 (主水正)とは? わかりやすく解説

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筑紫広門 (主水正)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/22 08:48 UTC 版)

筑紫 広門(つくし ひろかど、天正2年10月7日1574年10月21日[1] - 正保3年7月11日1646年8月21日))は、江戸時代前期の武将旗本寄合席筑紫氏当主。は春門、従門、茂成、のちに広門。通称は善吉郎、官位従五位下主水正石高3000石。文書や系図により差があるが、『寛政重修諸家譜』では兄で養父が筑紫広門(上野介)、妻は豊臣家臣・片岡喜平次の娘、養子は甥の筑紫信門(主水)、甥で養弟に栄門(掃部)と重門(左近)と辰門がいたとしている。


  1. ^ 『姓氏家系大辞典第二巻』。原典は「武藤系図」とする
  2. ^ 寛政諸家譜上の類似事例として三池藩主家立花氏系図における立花政俊(内膳)とその子立花種俊の混同がある
  3. ^ 『北肥戦記』によると1578年、筑紫広門の弟・筑紫晴門が11歳となったのであるが、鍋島直茂の養子となり佐嘉へ同道して行った。逆推すると晴門の生年は1567年、1574年では7歳で、主水正広門の実父でもあり得ません。
  4. ^ 『柳川市史・史料篇V・近世文書』(前編)P.240、佐田家文書A12より、筑紫主水正茂成の参戦が判明。
  5. ^ 『姓氏家系大辞典』


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