第5の哨戒 1944年9月 - 11月・摩耶撃沈
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「デイス (潜水艦)」の記事における「第5の哨戒 1944年9月 - 11月・摩耶撃沈」の解説
9月1日、デイスは5回目の哨戒でダーターとともにセレベス海、パラワン水道、南沙諸島および南シナ海方面に向かった。デイス、ダーター両艦は9月10日にダーウィンに入港し給油した後、パラワン島とバラバク海峡方面に進出。この方面に敷設されている機雷に注意を払いながら哨戒したが、ジャイロコンパスの故障により哨戒を一時中止。9月27日にダーターとともにミオス・ウンディ島に到着し、10月3日まで整備と訓練を受ける。哨戒再開後はボルネオ北岸沖に針路を向けた。10月13日午前、デイスは7隻の輸送船からなる輸送船団、ミ19船団を発見。丸一日かけて追跡ののち、翌10月14日未明にいたって艦首と艦尾の発射管から魚雷を計10本発射し、魚雷は応急タンカー日鉄丸(日産汽船、5,993トン)、輸送船永享丸(日本郵船、6,948トン)および大善丸(大阪商船、5,396トン)に命中。日鉄丸が沈没して、永享丸は1本が命中して大破しラブアン島ビクトリア港に曳航されていった。大善丸は右舷船首に1本が命中したが、ラブアン島に回航され仮修理を行った。10月19日にも、北緯08度55分 東経116度48分 / 北緯8.917度 東経116.800度 / 8.917; 116.800の地点で「吹雪型駆逐艦」に対して魚雷を4本発射したが、命中しなかった。ダーターも相前後して同じ目標を攻撃していたが、結果はデイスと同じだった。その後、2隻はパラワン水道に移動した。
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