第2次山本監督時代
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「広島東洋カープ」の記事における「第2次山本監督時代」の解説
2001年2002年2003年2004年2005年山本が8年ぶりに監督として復帰した。しかし、チーム成績は2001年は5年ぶりに勝ち越し、勝率3位ながら勝利数で横浜を下回り、4位に終わったが、巨人には6年ぶり、阪神には5年ぶりに勝ち越した。2002年、2代目オーナー松田耕平が死去し、3代目オーナーにオーナー代行の松田元が就任する。2002年から2004年まで3年連続の5位(2004年は6位横浜とゲーム差なし)。元大洋4番・松原誠をチーフコーチに招聘し、新井貴浩が中軸打者に成長する。2002年オフに金本知憲が阪神にFA移籍。2003年では阪神が1985年以来18年ぶりの優勝を果たしたため、広島は2003年から2015年までセ・リーグの中で「最も優勝から遠ざっている球団」となった。ドラフトでは白濱裕太を指名。2004年には嶋重宣が首位打者・最多安打・ベストナインを獲得している。2005年には投手陣再生の切り札として安仁屋宗八コーチを招聘、新井が本塁打王を獲得し、エース格のジョン・ベイルを抑えに転向させるも、初めての交流戦での失速や投手陣の不調が響いて最下位に転落した。2005年オフに山本監督が辞任、2000本安打を達成した野村が現役を引退した。
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