第2幕以前と第3幕の「落差」とは? わかりやすく解説

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第2幕以前と第3幕の「落差」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 01:27 UTC 版)

ジークフリート (楽劇)」の記事における「第2幕以前と第3幕の「落差」」の解説

ジークフリート』の音楽は、第3幕からがぜん豊かさスケール感を増しており、第2幕第3幕作曲12年間の中断があることが「様式不統一」あるいは「スタイル変化」につながった指摘される原因となっている。 しかし、これは様式面の不統一ではなくドラマ要求沿ったのである第2幕までメルヘン仕立てだったドラマが、より大きな世界悲劇中心に行き着いた後述)ことで、音楽もまた必然的に深み増したものに変化している。同時に純真無垢ジークフリートには「何も知らない」→木訥さを執拗に印象づける音楽与え第3幕登場するブリュンヒルデには、神であったがゆえに「何でも知っている」→ありとあらゆる技法駆使した音楽与えるといった音楽語法落差でもある。第3幕幕切れブリュンヒルデジークフリート二重唱であり、ここでワーグナー通常のオペラ・スタイルをとった。とはいえ二人言葉には不一致があり、とりわけブリュンヒルデ歌詞にはつづく『神々の黄昏』の悲劇結びつく亀裂生じている。 ワーグナー1869年2月23-24日のルートヴィヒ2世の手紙に次のように書いている。 いまここで『ジークフリート』について御報告するためには、第3幕世界足を踏み入れるたびに私の覚え崇高さ、おののきにも似た暗く恐ろしい感情についてお話なければなりません。私たちはここで蒸気を吹くデルポイ地割れ中に佇む古代ギリシア人のように大きな世界悲劇中心に行き着いているのです。世界滅亡差し迫ってます。中略)ここでは、すべてが荘厳なおののきの気を帯びていて、謎を用いて表すほかはないのです。

※この「第2幕以前と第3幕の「落差」」の解説は、「ジークフリート (楽劇)」の解説の一部です。
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